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「祓いたまえ清めたまえ六根清浄」の意味と効果|祝詞の全文と正しい唱え方

祓いたまえ 清めたまえ 六根清浄

神社での参拝や山登りで耳にする「祓いたまえ清めたまえ六根清浄」という言葉。

実はこれ、神道と仏教が融合した日本独自の清めの祈りなのです。

心身に溜まった穢れや煩悩を洗い流し、本来の清らかさを取り戻すこの言葉には、情報過多な現代を生きる私たちにこそ必要な智慧が込められています。

本記事では、その深い意味から具体的な唱え方、得られる功徳まで詳しく解説します。

>>経本 神具経本神道大祓かな付 身滌大祓・大祓詞・六根清浄大祓・三種太祓

目次

「祓いたまえ清めたまえ六根清浄」とは?意味を解説

祈っている女性

「祓いたまえ清めたまえ六根清浄」は、神道の祓詞(はらえことば)と仏教の修行理念が一体となった祈りの言葉です。

前半の「祓いたまえ清めたまえ」は神道において、天照大御神をはじめとする神々に対して「どうか私の心身を祓い清めてください」と願う敬語表現。後半の「六根清浄」は仏教用語で、人間の六つの感覚器官を清らかにすることを意味します。

この二つが組み合わさることで、神仏の力を借りながら自らの心身を浄化する、極めて包括的な清めの言葉となっているのです。

六根(ろっこん)が指す6つの感覚器官

六根とは、私たちが世界を認識するための六つの器官を指します。

六根対応する感覚働き
眼根(げんこん)視覚色や形を見る
耳根(にこん)聴覚音や声を聞く
鼻根(びこん)嗅覚香りや匂いを嗅ぐ
舌根(ぜっこん)味覚味わいを感じる
身根(しんこん)触覚触れた感触を知る
意根(いこん)意識判断や認識をする

仏教では、これら六根こそが煩悩の入り口だと教えています。美しいものを見て執着し、甘い言葉に惑わされ、快楽に溺れる――そうした欲望や迷いは、すべて六根から始まるのです。

だからこそ、六根を清浄に保つことが、心の平安への第一歩となります。法華経では「六根清浄」の境地に達した者は、肉眼でありながら千里先まで見通し、あらゆる音を聞き分ける神通力を得ると説かれています。

「どっこいしょ」の意外な語源と由来

実は、私たちが日常的に使う「どっこいしょ」という掛け声、この「六根清浄」が語源だという説があります。

山岳修行者たちが険しい山道を登る際、「六根清浄、六根清浄」と繰り返し唱えながら一歩一歩を踏みしめていました。これが次第に短縮され、「どっこいしょ」という親しみやすい言葉へと変化したと考えられています。

重い荷物を持ち上げる時、立ち上がる時に自然と口をつく「どっこいしょ」。その一言一言に、実は心身を清める祈りが込められていたのです。何気ない日常の言葉に、日本人の信仰心が息づいている――なんとも興味深い話ではないでしょうか。

六根清浄大祓(祝詞)の読み方と現代語訳

六根清浄を含む大祓の祝詞は、神道において心身の穢れを祓う最も重要な祈りの一つです。

ここでは初心者の方でも唱えられるよう、ふりがな付きで全文をご紹介します。

祝詞本文

祓(はら)いたまえ 清(きよ)めたまえ 六根清浄(ろっこんしょうじょう)

  • 目(め)に諸(もろもろ)の不浄(ふじょう)を見(み)て 心(こころ)に諸の不浄を見(み)ず
  • 耳(みみ)に諸の不浄を聞(き)きて 心に諸の不浄を聞かず
  • 鼻(はな)に諸の不浄を嗅(か)ぎて 心に諸の不浄を嗅がず
  • 口(くち)に諸の不浄を言(い)いて 心に諸の不浄を言わず
  • 身(み)に諸の不浄を触(ふ)れて 心に諸の不浄を触れず
  • 意(い)に諸の不浄を思(おも)いて 心に諸の不浄を思わず

現代語訳

どうか神々よ、私を祓い清めてください。六つの感覚器官を清浄にしてください。

  • たとえ目で穢れたものを見たとしても、心までは穢さないでください
  • たとえ耳で不浄な言葉を聞いたとしても、心までは汚さないでください
  • たとえ鼻で悪臭を嗅いだとしても、心までは乱さないでください
  • たとえ口で不適切な言葉を発したとしても、心の清らかさは保たせてください
  • たとえ身体が穢れに触れたとしても、心の純粋さは守ってください
  • たとえ意識が煩悩を思ったとしても、心の奥底まで染まらないようにしてください

この祝詞の核心は、「見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる・思う」という六根の働きと、その奥にある「真実の心」を区別している点にあります。外界からの刺激は避けられなくとも、心の清らかさは自分で守れる――そう教えてくれているのです。

全文とPDFダウンロードご希望の方は、以下の記事に掲載していますのでぜひご覧ください。

唱えることで得られる「功徳」と絶大な効果

神社での祈り

六根清浄を唱えることで得られる功徳は、古来より数多く伝えられています。

法華経によれば、六根清浄の境地に達した者には以下のような超人的な能力が備わるとされています。

肉眼でありながら三千世界のあらゆる事象を見通し、普通の耳で天上界の音楽から地獄の苦しみの声まで聞き分けることができる。鼻は天界の香りすら感知し、舌はどんな言葉も理解し、身体は金剛石のように強靭になるというのです。

もちろん、これは修行を極めた高僧の境地。しかし私たち一般人が日常で唱える場合でも、以下のような具体的な効果が期待できます。

精神的な安定と心の平安が第一の功徳です。心臓・肝臓・脾臓・肺・腎臓の「五臓」が調和し、イライラや不安が和らぎます。ストレスフルな現代社会において、この精神安定効果は計り知れない価値があります。

願望成就の力も見逃せません。心が清まることで迷いが消え、本当に必要なものが見えてくる。すると自然と正しい行動がとれるようになり、結果として願いが叶いやすくなるのです。

さらに天地の神仏との一体感を得られるとも言われます。自分という小さな存在が、大いなる宇宙の流れと調和する感覚。これは深い安らぎと生きる意味をもたらしてくれます。

現代人にこそ必要な「情報の浄化」としての役割

SNS、ニュース、動画サイト――現代の私たちは、一日に数万という情報に晒されています。その中には、見たくない暴力的な映像、聞きたくない誹謗中傷、触れたくないネガティブな感情が溢れかえっています。

六根清浄の教えは、まさにこうした「情報過多時代のデジタルデトックス」として機能します。

不浄な情報を遮断するのではなく、「心に留めない」という智慧。スマートフォンのキャッシュデータを削除するように、日々蓄積される心の澱(おり)を「六根清浄」という言霊で洗い流す。これこそが、疲弊した現代人の心を守る最良の方法なのです。

朝起きた時、寝る前、ストレスを感じた時――一日数回、深呼吸とともにこの言葉を唱えてみてください。不思議なほど心が軽くなり、本来の自分を取り戻せるはずです。

神道と仏教で両方の言葉が含まれる理由

「祓いたまえ清めたまえ」は神道、「六根清浄」は仏教――では、なぜこの二つが一体となっているのでしょうか。

その答えは、日本独自の**神仏習合(しんぶつしゅうごう)**の歴史にあります。

古代日本では、6世紀に仏教が伝来して以降、土着の神道と外来の仏教が対立するのではなく、互いに影響を与え合いながら融合していきました。「神も仏も、究極的には同じ真理を表している」という考え方が生まれ、神社に仏像が祀られ、寺院に神が勧請されるようになったのです。

特に山岳修験道においてこの傾向は顕著でした。険しい山々で修行する山伏たちは、神道の自然崇拝と仏教の修行理念を融合させ、独自の信仰体系を築きました。彼らが山を登る際に唱えた「六根清浄」の掛け声は、まさに神仏習合の象徴だったのです。

また、中世に発展した伊勢神道吉田神道も、仏教思想を積極的に取り入れました。神道の祝詞に仏教用語が組み込まれるのは、こうした歴史的背景があってこそ。一神教の世界では考えられない、日本人の柔軟で包容力ある精神性の現れと言えるでしょう。

この「祓いたまえ清めたまえ六根清浄」という言葉は、日本文化の多様性と調和の精神を体現した、まさに奇跡のような祈りなのです。

六根清浄を体感できるおすすめスポット3選

実際に「六根清浄」を唱えながら参拝・修行できる、日本を代表する霊場をご紹介します。

高尾山(東京都)

都心からわずか1時間でアクセスできる高尾山は、年間300万人が訪れる修験道の聖地です。薬王院では今も天狗信仰が息づき、参道を登る人々の「六根清浄」の声が木霊します。初心者向けのコースも整備されており、気軽に霊山の清浄な空気を体感できます。山頂からの眺望は、まさに六根が清められる瞬間を与えてくれるでしょう。

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この記事を書いた人

神話は、遠い昔のおとぎ話ではなく我々の血に刻まれた、OSのようなもの。
情報に溺れ、自分を見失いがちな現代。
その答えは、海外の自己啓発書や最新のテックニュースの中にはない。
八百万の神々がささやく、古の物語の中にこそ眠っている。
この場所は、単なる伝統文化の解説サイトではない。
祝詞の言霊、神々の物語、季節を彩る伝統行事…
それらが持つ “本当の力” を、現代の言葉で解き放つための研究室。
忘れられた日本の「力(ちから)」を、あなたの中に呼び覚ます。
古の叡智は、いつだって新しい。

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